日本人として忘れてはならない夏・・・

  • 2013
    08/07

日本人として忘れてはならない夏・・・

私は広島県の出身です。
両親は被爆者。
父親方は原爆と戦争(中の病死も含む)で3才年上の姉とともに、幼少から義父の家で育てられたそうです。

8月6日は広島に原爆投下された日。

その三日後、9日には長崎に原爆投下。

1945年、8月15日 正午 玉音放送~終戦(敗戦)。

なぜか18日から、千島列島東端の占守島にソ連軍が侵攻。
ポツダム宣言受諾により太平洋戦争が停戦した後、日ソ中立条約を一方的に破棄したソ連軍が占守島に上陸、日本軍守備隊と戦闘となりました。21日に日本軍の降伏により停戦が成立。
以降、北方領土はロシアが占有し続けています。
8月20日朝、樺太の真岡にソ連軍艦がやってきました。樺太の悲劇、真岡郵便局の悲劇も忘れてはなりません。

日本人として絶対に忘れてはならない夏の日です。

先日、用務の関係で東京に伺った折、短時間ではありましたが遊就館を拝観して参りました。

ご家族(遺族)と引き裂かれて戦地で尊い命を散らしたが故の現代の平和。

どのような強い力を持ってしても断ち切ることの出来ない親子兄弟の絆を一片の紙切れにより断ち切られ、ご主人を戦火に失われるとき、最後の別れの一言も聞いてあげられなかったことが今でも悔やまれる方もいらっしゃることと思います。

最愛の夫を、父を、子を、兄弟を失った方々の悲しみは深く、言葉ではとても言い尽くせるものではありません。

これも偏に、国難に殉じ、国家再興への礎となられたご英霊の、平和への切なる願いと精神が脈々と流れ受け継がれているからであり、その尊い遺徳を私たちは決して忘れるものではありません。

遊就館を拝観して、決意し直したこと。
それは悲しみの歴史を繰り返さないとの決意を新たにし、戦争の史実と教訓を風化させることなく子々孫々にわたり正しく継承し、平和で希望に満ちた社会の増進に一層努力を重ねて行くことを誓いました。

戦没者の皆様のご冥福を心よりお祈りし、日本国の益々の繁栄、そしてご遺族皆様のご健勝とご多幸を祈念します。