泊原発のたくさんのお声を頂きました

  • 2011
    08/18

皆様から貴重なご意見を頂きました。
ありがとうございます。

まさか、北海道から「再稼働第1号」が出てこようとは考えてもおりませんでした。

皆様のご指摘のとおり、原子力発電所は「あわてて減らしていかなくてはならないモノ」であり、「再び動かす」ことには反対して参る覚悟です。

ご存じのとおり、私の所属する公明党は原子力発電所について、徹底した安全性の追求を大前提として、三つの視点から認めてきた経緯があります。

一つ目は、公明党が最終的にめざす「太陽水素系エネルギー社会」(太陽光や核融合によるエネルギー供給)の実現過程における“つなぎ”としての役割。こうしたシステムを実現するには、まだ多くの年月とコストがかかるため、その間のエネルギーの一部を原子力によって賄うことをいいます。
二つ目には、「エネルギー安全保障」の観点から、化石燃料、太陽光など再生可能エネルギー、原子力をバランスよく活用(ベストミックス)することによって、経済活動の基盤となる電力供給を安定させる。資源を輸入に頼らざるを得ない日本が、国際情勢に左右されるといったリスクを低減する意味でも、極めて重要な視点であるといえます。
そして、三つ目は、低炭素社会の実現は世界の要請であり、二酸化炭素を排出しない原子力発電所は、その実現に寄与する。
いずれにせよ、あくまでも『安全性が確保』されているということが大前提でありました。
絶対的な安全性が確保された上で、原子力エネルギーを(しぶしぶ)認めて来た経緯があります。

しかし、今回の放射能漏れ事故・政府の対応・電力会社の対応を見るにつけ、やはり人間の行うことにはどんなに気をつけても過失・瑕疵がつきまといます。また、災害は人間の想定を大きく越えてくることも見せつけられた経緯があります。であれば、やはりなにか起きたときに手に負えなくなる可能性のあるものは『触れない』ことが正しいことではないかといや増して強く考えるようになりました。

その上で皆さんに考えていただきたいことは、原子力発電所の危険性を考慮した廃止と現在の日本の電力需要、それに伴う日本経済の発展を総合的に勘案すると、やはり電力は不足してしまうのではないか、どう補うべきなのかを解決させる必要から逃げ出すわけにはいかなくなることです。

私は、工業人ですから愛する日本国は工業立国として世界に名誉ある地位を占めることが大事なことであると考えます。と同時に、当然、空知総合振興局を選挙区とする北海道議会議員として、北海道の農業・観光・そして自身が申し続けている人材の輩出も、同じく大事なことであります。

豊かな電力を供給できなくなることは、日本のメーカーの(海外・国内に向けた)売り上げが減ることになります。
精密機械は、不安定な電力ではとても精密部品をつくることができません。これまで日本国が製品の輸出国として世界中にその地位を築いて来た・努力や行為を「あきらめ(手放し)てしまう」のか、「続ける」のかの選択もしなくてはなりません。

次に、その関係から税収が減ることが容易に考えられます。少なくなった税収でなにを切らねばならなくなるか。これは相当丁寧に申し上げなくてはなりませんが、残念ながら「福祉」も切られてしまいかねません。すると誰が困ることになるのか。それはやはり、弱い者に手を差し伸べることができなくなることにつながりかねません。
また、電力の豊富な国へ企業が出国することも当然起こりうることでしょう。

わかりやすく極論を申せば、競争に弱く・体力もなく・その上弱肉強食(社会的弱者を守りきることのできない)の日本国になってしまう恐れを憂いております。だからといって、放射能をまき散らして良いと言うことを申しているのではありません。

話を変えますが、なぜか全国で営業運転中として稼働中の原子力発電所の炉には触れずに、再稼働にのみこだわられているかについて、はなはだ疑問に感じております。世論調査でも6割以上の人が「全ての原発を今すぐに停止することは、現実的ではない」とするデータがあります。

使用期限が来た炉は速やかに撤廃をしながら数を減らしていくこと、同時に新しい原子力発電所はつくらないこと、そして代替エネルギー・再生可能エネルギーを強力に推し進めていくこと、これが現実的な手段ではないかと考えております。

「40年前の生活レヴェル、部屋に一つの裸電球、冷蔵庫・洗濯機・そして家の中心にテレビ(もしくはパソコン)が一つ。携帯電話はどうなるか・・・」という時代に戻す(40年前は高度成長期でしたが、もう二度と容易に高度な成長は見込めないと思われます。永遠にこの生活になるものと思われます)のか、もしくは21世紀の生活を満喫するのか。一人一人の個人ではなく、あまねく全て(ほとんどの)の国民が同じ回答・選択をする必要もあります。

今回、この2日間でとんでもない数のメール・FAX・お電話を頂きました。
内容が理論的に素晴らしくまとめられ、説得力もあり、私の考えを揺るがせる内容や、反対に感情的な文章、脅迫的な文章、どこかでコピーされたままのまったく同じ内容の文章等、たくさんのお考えを伺いました。皆さんの関心の高さがよくわかりました。しかし、しかしなのです。

卑近な例えになるかもしれませんが、日米新安保条約の批准を巡って日本中が騒然としていた1960年のこと。国会を多くの人たちが取り囲んで「安保反対」を叫ぶ中、ときの内閣総理大臣で「昭和の妖怪」と呼ばれた岸信介は批准案を強行採決してしまいます。そのとき、岸は、「国会周辺は何やら騒がしいようだが、今日も後楽園球場は満員だ」と言い放ったと伝えられています。

なにが言いたいかというと、『皆さんから頂いたお声は、かならず形にして参ります。』ですから、もっと『もっと運動量を頂きたい』のです。反対のデモをしても良いし、民主的な運動を起こしても良いし、圧倒的な熱量で反対していく声を支えていきたいと思います。道議会議員や関係周辺市・町にかちゃかちゃキーボードで打ち、送信ボタンを押したくらいで世の中等到底変わるはずがありません。

誰だって、放射能はいりません。故郷は失いたくありません。健康が一番です。
取り急ぎ、自身の考えを申し上げました。