広島・・・原爆の日

  • 2011
    08/06

広島出身で被爆者の親を持つ私は、やはりこの日は重要な意味を持つ一日となります。

第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分に、アメリカ軍が広島に対して投下した原子爆弾は、人類史上初めて核兵器が人類に対して使用された日となります。この一発の兵器により当時の広島市の人口35万人のうち約14万人が死亡したとされています(推定)。

よく広島・長崎のことをなぜか「ヒロシマ」「ナガサキ」と表記されていたり、また最近は東京電力福島第一原子力発電所の放射能漏れ事故から、「フクシマ」等と表記したりすることがある。カナ表記される場合は、原爆投下や放射能等の関連での言及が多いが、私は個人的な思いとしてはカナ表記はすきではありません。

原爆により広島市役所は壊滅的な打撃を受け、役場の戸籍簿が焼けてしまい、なんと昭和20年当時に生存されていらっしゃった慶応年間生まれの方や元治・文久年間に出生された方が昭和50年代になっても死亡したことが証明されず、100数十歳という戸籍が残り、その処理に困ったことがあったそうです。

今回の東日本大震災においても、4月初旬の折りには、役場ごと流された南三陸町などの行方不明者数が、まだ集計に1人も入ってないことがわかったというニュースもありました。

話を戻しますが、原子爆弾の一撃で14万人の方がお亡くなりになり、また、数百万度の熱線と爆風だけで瞬間的に亡くなられた方は、10万人とも言われています。
当然、戦争中の出来事ではありますが、交戦国であっても戦地ではないところで、平成の今の私達と同じく家族や地域のコミュニティごと破壊する行為は、断じて許すことができません。

原爆死没者慰霊碑の石室前面には、「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」と刻まれています。「安らかに眠って」いただくために、「過ちは 繰返」さないことは当然のこととして、いったい誰が誰に伝える言葉なのか、子どもの頃から疑問を感じていました。

この「過ち」とは・・・。

①戦争に勝てっこないのに始めてしまった「過ち」なのか
②勝つつもりであったのによみがはずれてしまった「過ち」なのか
③原爆を落とされることを防ぎきれなかった「過ち」なのか
④原爆を落とされてしまうようなことを結果的にもつくってしまった「過ち」なのか
⑤その他

あたかも、日本人が日本人に謝罪している自虐的な言葉に見えてなりません。

有名なインドのパール判事は「原爆を落としたのは日本人ではない。落としたアメリカ人の手は、まだ清められていない」と非難の声を上げられたと聞いたことがあります。

「人類として、核兵器を使ってしまったという過ちを二度と繰り返さない」という意味であればいいなと思います。

卑近すぎるたとえですが、私も恋をして好きな女性をめとり、子をつくり育て、ささやかでも幸せな家庭を築き幸せを満喫している最中です。それを戦争中であっても一方的に圧倒的なエネルギーで焼き尽くす行為は断じて認められない。あってはならない蛮行であると申し上げたいのです。

当然戦争自体を無くしていかねばならないことは当然のこととして、この日は大事に語り継ごうと思います。