福島県から帰ってまいりました

  • 2011
    07/31

新潟・福島豪雨の最中、福島県に視察に伺いました。
道中、とんでもない雨が降り続き、新潟県と福島県の一部では災害となってしまいました。

30日まで記録的な豪雨となった新潟県と福島県では天気が回復してきたようですが、29日から30日の朝にかけて、断続的に1時間に80ミリ以上の猛烈な雨が降りました。今月27日の降り始めからの雨量は多いところで1000ミリを超え、7年前、平成16年7月の「新潟・福島豪雨」を上回る、記録的な豪雨となりました。

そんな中、最初の視察場所は夏休みで子ども達の声が聞こえなくなった静かな小学校でした。
積んである土のうやブルーシートは放射線値のたかい表土を削ってためているところです。
場所は、郡山市です。郡山といえば原発からも比較的遠いところにあり、予習していたとはいえ「まさか郡山市にも放射線の値の高いところが」というくらい考えてもいなかったところでした。
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そして、積み上げられた土嚢と同じくらい悲しい気持ちになったのは、グラウンドの雑草です。
一度表土を削り取っていますが、そこから生えてきたであろう雑草がこんなにのびているのです。
ということは、子ども達はグラウンドで遊んでいないということです。
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福島県の北部、相馬市の海岸で津波の現場に立ち寄りました。
比較的、がれきの除去は進んでいるようですが、なにより、津波の現場に初めて入るものとして厳粛、かつお亡くなりになられた方のご冥福を祈りながら歩きました。
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左の家は1階部分が鉄骨で守られていたようです。
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基礎を残して、建家は皆持って行かれています。
なによりも、私の後ろにあるのがふろしきと黒いランドセルです。ずぶぬれで形はかなり傷んでおりましたが、このランドセルの持ち主はなんとか生きていて欲しいと祈ることが精一杯でした。

阪神大震災のときも、「これ以上涙は流れない」という感情を経験致しましたが、被災地に入った瞬間に阪神のときの(阪神大震災は強い揺れと大火災の地震でした)景色とはちがう、しかし同じ地震災害の爪痕に最初は流れていた涙がいつの間にかとまり、「絶対に復興のために力になって差し上げたい」との気持ちが強くわき起こりました。
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コンクリートの倉庫らしい建物がかなり転がされています。
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がれきの集積場のようです。
阪神大震災のときは、全てのがれきを5カ所(うろ覚えですが)に集め、その高さたるやかなりの高さでしたが、このがれきも相馬市の一部のものと思われます。青森県から岩手県・宮城県・福島県・茨城県までかなりの広範囲にわたる津波被害におけるがれきは、相当な量でありまだまだ処理されていないものと伺っております。
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南相馬市の南半分は、福島第一原発から20km圏に入り、厳しく立ち入りが制限されています。
今回は、立ち入り禁止区域内に入る準備(手続き)をしていなかったため、ここから先に立ち入ることはできませんでした。

福島県は20年前に旅行で訪れたことのある街でした。久しぶりに伺い、たくさんの皆さんにお話を伺うときに「放射能の恐ろしさ・余震・だけれども福島が好きでなんとか住み続けたい」というお話が多数でした。
この福島を、なんとか皆さんのお力もお借りしながら復興へ向けて一歩でも早くすすめていきたい。
また、北海道議会議員として、北海道の安心・安全の確保。またセーフティネットの作成を急ぎながら災害に(も)強い北海道作りを目指してまいります。

今回もたくさんの皆様との出会いがあり、またお世話になりました。
福島を後にした半日後に、震度5強の揺れがあったと伺いました。
あの方は、あのご婦人は大丈夫だったかと北海道から心配しております。

頑張れ東北、頑張れ日本。